年季の入ったそろばんに、古いレジ。自宅に隣接するこの場所で母シヅさんは晩年まで商店を切り盛りしていました。店は榮吉さんが、昭和8年ごろに始めました。

榮吉さんが亡くなった後は、シヅさんが引き継ぎましたが、終戦の10日前にすべて焼けました。「垂水空襲」です。

終戦の10日前にすべて焼けた「垂水空襲」

昭和20年8月5日、およそ5時間に及ぶ爆弾や焼夷弾で91人が死亡、およそ2000戸が全焼しました。川南さんは、おばにおんぶされて防空壕に向かいましたが、一番上の兄は預かった着物を守ろうとぎりぎりまで家に残った母親のそばを離れませんでした。

(川南いく子さん・84)
「いくつしか(自分と歳が)違わないのに母さんを守らないとと。(小さい頃)みんなお父さんがいるのにと(母に)言っていた。兄にすごく怒られたことがある。お母さんを困らせたらダメって」

戦後、地域の支えもあり店は再建されました。父親のいない家庭に対する風当りも強かった時代ですが、シヅさんはいつも前向きでした。

市場での仕入れのために60歳で車の免許を取得。親戚の力を借りながら店を守り3人の子どもを育て上げました。

(川南いく子さん)「肝っ玉母さんで、子どもには寝なさいと言うのに、朝起きたらかまどでご飯が炊けていた。本当にお母さん、寝る時間があったのかなと」

川南さんは最期まで母親と一緒に暮らしました。