
息子の将来を心配する一方で、焼酎文化のために技術を残したいという思いも、父・辰矢さんにはあったようです。
(父 辰矢さん・当時76歳)「僕がだめになれば修理はできない、その気持ちが一番つらい」
(木樽職人 津留安郎さん)「(父が)平成20年の6月から抗がん剤治療に入った。『本気でする気があるか?』と、『してみろ』と」

設計図のない木樽蒸留器を父と一緒につくれた期間は、およそ4年半。短い期間で父の技術を継ぎました。
国内で木樽の蒸留器をつくることができるのは、津留さんただ一人です。
(木樽職人 津留安郎さん)「(父は)一切どうしろこうしろ言わない、褒めちぎるだけ。本当に人使いが上手い人」