鹿児島大空襲から80年。佐藤さんはこの日およそ80年ぶりに母校を訪れました。

(佐藤普子さん)「防空壕の中のことや友達のことを思い出す」

鹿児島高校では軍需工場での学徒動員中に空襲で亡くなった教員と生徒33人の慰霊祭を毎年続けています。

(佐藤普子さん)「いまだにまだ生かさせていただいて、あなたたちの倍以上生きた」

鹿児島高校の生徒に戦争体験と戦後80年経った今の思いを語りました。

(佐藤普子さん)
「寄宿舎も全部焼けた。こっちもこっちも火が燃えて入ってきて、汚い水をかぶったり飲んだりしながら生きたのが私たち」

「今自分が生きていることがすまないような気もするし、ありがたいような気もするそういう戦争体験でした」

(鹿児島高校3年 浦上智子さん)「私たちの次の世代、そのまた次の世代にも戦争の記憶を伝えていくことが、これから大人になる私達の義務」