昭和100年にあたる今年、シリーズでお伝えしている「昭和からのメッセージ」です。今年は昭和20年の終戦から80年の節目の年でもあります。終戦の年の6月17日の鹿児島大空襲では、2316人が亡くなりました。
15歳のときに空襲を経験した95歳の女性は「戦争の記憶を次の世代に渡したい」と話します。
(佐藤普子さん)「こうやって食べる。ゆがいて。山にある。これを食べていた」
南九州市に暮らす佐藤普子さん、昭和5年生まれの95歳です。現在の日置市で寺の住職をしていた家庭の、5人きょうだいの末っ子として生まれました。
昭和16年、佐藤さんが11歳のときに太平洋戦争がはじまると、24歳上の長男・顕敬さん、17歳上の次男・徹信さん、15歳上の三男・徹昭さんが次々と戦争に駆り出されました。

(佐藤普子さん)「(戦争が)始まるまでは平和だった。潜水艦に乗って兄は真珠湾攻撃に行った」