水俣病は、熊本県・水俣市のチッソの工場の排水が原因の公害で、昭和31年5月に公式確認されました。

ここに一冊の本があります。鹿児島県さつま町にゆかりのある医師・原田正純さんのことを描いた漫画です。

胎児性水俣病の存在を初めて確認し、生涯をかけて水俣病の調査と被害者の救済に取り組んだ原田さんは、「公害は単にカラダの病気ではなく経済を優先した社会の病気」と語っていました。

『「水俣病」を診てしまったから』『世界に証明しなければ胎児性水俣病が存在することを!』

「自然に対する怖れを無くした時に水俣病は起こったわけですから」

原田正純さん。昭和9年に長崎市で生まれ、幼少期を現在の鹿児島県さつま町で過ごしました。ラ・サール高校を経て熊本大学に進み、熊本大学大学院在籍中の昭和36年から熊本大学医学部の研究班に関わりました。

胎児性水俣病の存在を世界で初めて明らかにし、平成24年に77歳で亡くなりました。