42歳で出産した母親の思い 子どもたちの未来

グラフは女性が一生のうちに産む子どもの数=合計特殊出生率の全国の推移です。

終戦後の昭和22年には4.54でしたが、昭和30年代後半に2を下回りました。五つ子が生まれた昭和51年は1.85。その後も減少傾向で、令和5年は1.20でした。

少子化が進む一方で、母親の年齢は高齢化しています。2022年に出産した女性のうち35歳以上の割合は3割を占めました。

鹿児島市に暮らす竹下夕貴絵さん(46)です。5年間の不妊治療の末、41歳のとき当時は先進的だった治療を受け娘の桜子さんを授かり42歳で出産しました。

(竹下夕貴絵さん)「不妊治療という言葉が独り歩きしていて、よくわからないところがあると思う、社会の中で理解されて温かく見守ってもらえると少子化になる中で前を向いていける」

出産後は自身の経験から、不妊治療中の夫婦の支援や相談を受ける仕事をしています。

自分たちが生まれ育った昭和の時代は「地域ぐるみで子どもを育てていた」と振り返り、これからは行政や周囲の協力を得て社会全体で育てていければと話します。

(竹下夕貴絵さん)「(昭和は)今に比べると不便なこともあるけどすごく楽しかった。娘たちが育つ未来の鹿児島、未来の日本で、大人の背中をみて子どもほしいなと、子どもがいても仕事頑張れると、そんな社会ができたらいい」