(綱紀栄泉さん)「生きている間は、元気な間は書こうと。私から筆を取れば何も残らない」

フォント事業を始めたのは、平成18年=2006年でしたが、屋号に選んだのは「昭和書体」でした。

(昭和書体 坂口茂樹会長)「昭和はすごく中身が濃い。戦争もあった。日本が変わったのも昭和。昭和の発展はものすごかった。平成の時代に昭和を引っ張って、この時代も昭和に近いイメージ、勢いがないといけないだろう」

「平成」の時代に「昭和」を掲げて、64の書体を書き上げた栄泉さんは、3年前の令和4年、腎臓の病気で亡くなりました。

(昭和書体 坂口茂樹会長)「親父の場合は文字を書いているのではなくて、文字という絵を描く。見た時にかっこいいようにって。「毛筆書体だけは書き手がいなくなっても、いなくなったら、なおのこと必要とされるのではないか」