岡さん達が浪江町に戻ったのは、翌3月12日の午前2時半。ようやく家にだどり着いたものの、余震がひどく、近くの公民館に避難しました。
娘が務めていた介護施設には、津波が100mほどにまで迫ってきていました。入所者は100人ほど。娘の同期の親から「なんで行かせたの?放射能、おっかなくないの?」と電話がありましたが、発災直後からの娘の「行く」という判断を、岡さんは止めませんでした。
▼岡洋子さん
「私は娘に『お世話になってる場所だから、行ってこい』と言って、主人が娘を軽トラックで介護施設に送っていきました。その後、どんどん、どんどん、娘が追い込まれるのを知りました」
岡さんの娘は、就職して1年も経っていませんでした。それにもかかわらず100人の入所者を連れて、ご飯もない、電気もない⋯という避難場所を、危険が迫るたびに転々としたといいます。










