強い使命感のもと、黙々と与えられた仕事に取り組んでいた土居さんですが、工場が1945年6月15日に爆撃を受け、住んでいた寮も焼けて無くなりました。
土居さんは爆撃の煙で目を傷めましたが、命からがら避難。
その後は、大阪から神戸までひたすら歩き続け、神戸駅から汽車で高知に帰ってきましたが、故郷でも、恐ろしい爆弾の影におびえる日々が続いたといいます。

◆土居瑞さん
「『きょうは8月3日で、原子爆弾が落ちてくる』と言っていたの、原子爆弾と言ったらみんなを殺すようなものだと言ったの。みんなが皮膚がただれてしまうから『影におりよ、影におりよ』と言われた。広島がやられた後は、みんな右往左往になりましたね。その時には『もう日本はいかんなったな』と初めて思いましたね」
戦時中は、「故郷に帰りたい」と思う暇もないほど、戦争が生活の中にあり、国に報いることに青春を捧げた土居さん。
しかし、終戦から80年が経った今、感じるのは命の尊さ、そして不戦への強い思いです。
◆土居瑞さん
「悲しみも喜びも、いろいろといただいたけど、何がどうあっても命。命があってこそ、できることがあると思う。戦争自体をしてはけない。原爆とか人殺しとかは人間の幸せを"もぎちぎっていく元"だから『絶対にいかん』と思ったね。戦争をしてはいけないということを、私の心の叫びとしてお伝えします」










