平成の大合併で消滅⁉ 幻の「西予構想」とは?
「東・南・北」がそろうと、次に気になってくるのが「西」。
これまた地元民にはおなじみだが、「西予」といえば、現在市の名前になっている。

「西予」が地域の分け方として採用されたことはないのだろうか?
大本敬久 副センター長
「(エリア名としての)西予という言い方も実はありまして。1999年に八幡浜・大洲圏域を『西予』と呼ぼうと決まったことがある」
そう。実は2000年前後に、当時の桝田與一大洲市長が旗振り役となり、八幡浜市・大洲市やその周辺地域を「西予」と呼ぶように決めていたのだ。

しかし、県民にはそれほど定着することなく、2004年の平成の大合併で西予市が誕生したことで、「西予」構想は立ち消えになったという。
大本敬久 副センター長
「(現在の分け方は)東西南北を均等に分けようという形ではなく、愛媛のこの150年の歴史変遷の中で自然にこうなった」








