「うーん…ありますね、正直」
それが田口医師からの答えでした。
■「知ってほしい」当事者に聞いた本音
患者交流会で、参加者にこう投げかけてみました。
「発声障がいという病気に対して社会的にどんなサポートがあったら嬉しいと思いますか?」

参加者からは次のような声が聞かれました。
「そっとしておいてほしい。発声障がいをみんなが分かっていたらそのまま流してほしい」
「詰まったり震えたりするけど声自体は出ないわけではない」
「声が中途半端に出ちゃうところが難しい」
「10人いたら10人違うからサポートの仕方もそれぞれ違っている」
そして市川さんは、「サポートしてほしいというより知ってほしい」と話してくれました。

■発声障がいと向き合い、少しずつ前へ
取材の最終日。インタビューの途中で、市川さんが唐突にこう呟きました。
「話すことを避けるのをなるべくやめたいなって最近思っています」
声の悩みや生きづらさは消えないものの、症状の改善に向けて市川さんは少しずつ前に進もうとしています。
「私は発声障がいがあっても接客をしてもいいし、そういうアナウンサーがいてもいいと思いますし、“発声障がいがあるからできない”というのは無くなったらいいですよね」
市川さんは私に、そう声をかけてくれました。

私たちは「声を出しづらい」という発声障がいに悩む人の「声」が社会全体に届くことを願っています。

■そして私も…
振り返るとこの2年間、私は発声障がいと向き合っていませんでした。
自分に症状があることを認めたくなかったのかもしれません。
しかし、今回の取材をきっかけに「逃げていてはダメだ」と思うようになり、音声外来でリハビリを始めました。
「発声障がい」がいつ治るのか、自分でも分かりません。
1年か2年か、5年か10年か…いや、もっとかかるかもしれません。
それでも、私の声は、私の声。とことん付き合っていくつもりです。
アナウンサーの仕事は、声の調子と相談しながら、自分にできることを精一杯に。

■深夜2時、カメラマンと話して気付いた”見えない壁”の正体
発声障がいの取材を終え、放送に向けて編集を進めていたある日。
私と、編集担当のカメラマンは、最後まで繋いだVTRを一旦、白紙に戻しました。
理由は、私の中に正体不明のモヤモヤがあったから。