(川崎杏樹さん)
「中学校のあたりは教員、先生になるってちょっと思っていました。震災きっかけで地元に対する思いががらっと変わって、震災の時から将来は地元に貢献できるような仕事、復興であったりとか、そういったものができるようなものがしたい」

防災学習が子どもたちの命を救った一方で、鵜住居地区では627人が津波の犠牲になりました。

(川崎杏樹さん)
「学校の活動でもうちょっと地域といろいろやっていれば、もう少し鵜住居の犠牲者っていうのも減らせていたかもしれませんし、私たちは私たち、先生たちは先生
たちなりに当時はやれることはやってきたと思うんですけどでも、もう少しできたんじゃないか、何かやれたんじゃないかっていう思いはたぶん消えないんだろうなとは思います」

きょうも、川崎さんはあの日、津波から逃れた道を辿ります。

(川崎杏樹さん)
「今生きていることができて助かった、被害も少なかったっていうことを考えると当時のことを伝えていくっていうのが私にあるミッションなんじゃないかと思います」

自分が生き延びた体験を、多くの人に共有してほしい。
そんな願いを込めて語り続けます。