脚本家、演出家、役者…それぞれが勝負した名作『幻の町』
是枝さん:僕の一番大きな転機が、大学生のときに買った、シナリオ集『倉本聰コレクション8・幻の町』なんです。これを読んで、いろんな想いが甦りました。親の年齢が結構上だったので、自宅のテレビは、子どものころ、日曜の夜『東芝日曜劇場』が、必ずついていました。その中で時折、とても印象に残る放送回があって、その多くが『シナリオ集』に収められていました。ここで"これも倉本さんだ、これも倉本さんだ"と、ようやく気がついたんです。子ども時代に触れた、テレビドラマの原体験みたいなものが20歳前後で一度、自分の中で甦って、そこから倉本さんにすっかりハマりました。
とにかく、このシナリオ集に収められた作品は、どれも好きなんですが、倉本さんは『HBC制作の東芝日曜劇場『幻の町』が、最も大切な作品の一つ』と言っています。本当にいろいろな要素が入っていて、僕も、傑作中の傑作だと思っているんですが…。
倉本さん:『幻の町』(1976年・HBC)の原点は、自分のおふくろの話なんです。おふくろが認知症みたいになって、どうしようもなくなったときに、戦時中のことを尋ねてみたことがあるんです。岡山の田舎町に疎開していたんですが、当時の家の間取りや、ご近所さんについて、おふくろに尋ねたところ、突然、明るい顔にパッとなって、全部思い出して、当時の地図を書いたんです。そのことから"幻の地図"をモチーフに、ドラマの脚本を書くことを発想したわけです。
もう一つは、札幌ススキノで飲み屋をやっている、樺太の真岡(現ホルムスク)から引き揚げてきた高齢の姉妹がいて、その2人から毎日、真岡の話を聞いて『幻の町』の脚本を書いたんです。
是枝さん:"何かを捨てる旅と同時に、何かを探す旅"になっている。旅が常に、両義的なモチーフをはらんでいる…。倉本さん脚本の、多くのドラマがそうなっていると思うんです。
倉本さん:(『幻の町』の夫婦役)田中絹代さんと笠智衆さんの関係は微妙でした。すでに絹代さんが、映画の大スターだったころ、まだ笠さんは大部屋の役者でしたから。笠さんは、絹代さんには頭が上がらなかったんです。その笠さんは、HBCから出演依頼を受けたとき『冬の北海道は寒いから、私は身体がもちません…』と、最初断ったんです。そうしたら絹代さんが、直接電話をかけて『撮影中に凍って死んだら本望でしょうが!何を言うの!』と笠さんを怒って、それで出演を了承してくれたんです。
倉本さん:ドラマの終盤に、凍りついた小樽の倉庫街で、妻役の絹代さんが『あなた、一度もキスしてくれなかった…』と言うシーンがあります。すると『そうかのう…』と、夫役の笠さんが返す。『そうですよ、一度も口づけをしたことなんてありませんよ』と絹代さんが言う。そこで突然、笠さんがチュッとキスして、クルッと後ろを向いてスキップした。これには、僕も撮影現場にいてビックリしました。
是枝さん:倉本さんも、現場にいらっしゃったんですか?
倉本さん:ええ…何という人だ!と思いました
是枝さん:『幻の町』は、脚本家と演出家と役者が、みんなが勝負しつつ、それぞれが作品に抱いている世界観が、見事に調和しています。ドラマに映し出されているのは、老夫婦のいたわり合いだったり、故郷への思いだったり。そして途中から"娘を真岡に残してきた思い"が浮上してきて、棘のように刺さり、笠さんの表情がふっと変わる。その瞬間が見事にできています。それに笠智衆さんの芝居には、軽やかさがあって、決して重たく、悲しさに傾いていかない…。物語自体が持っている切なさを、重たく演じていると、あのラストには到達しないと思いました。







