寿美さんは生前、HBCの取材に、当時の心情を語っていました。
元副婦長 鳴海寿美さん(1992年放送)
「もう敗戦になっているのに爆撃されるということ、避難しているのに機銃で掃射されるということ。最後の手段として死を選ぶという気持ちになったし、それが当然だと思った」

大きなニレの木が立つ丘で、23人の看護師たちは睡眠薬を飲んだり、手首を切ったりして、死を待ったといいます。
鳴海寿美さんの手記
「大丈夫よ。死ねるから…」
看護師たちについて、ドキュメンタリー作品を制作した大学生が稚内にいます。

育英館大学非常勤講師 牧野竜二さん(37)
「自決をすると決断した看護師たちと同じ世代。その気持ちになって考えるというのは、ふだんできない体験だと思う」
看護師たちはなぜ死を選んだのか。
学生たちが導き出した答えは、現代にも問いかけるものでした。
77年前の8月17日、旧樺太で看護師が集団自決を図り、6人が命を落とした事件。看護師に関するドキュメンタリー作品を制作した大学生たちは、ある結論を導き出します。
育英館大学4年 伊藤龍二さん(22)
「どれか1つ正しい情報があれば、違う未来もあったのではないか」
育英館大学4年 麓優太さん(21)
「捕虜になった人がひどい扱いを受けことが、戦争ではよくあると思う。
女性の看護師が多かったから、その影響が大きかったのかな」
育英館大学4年 高田康生さん(21)
「ひとりの命より国のためということが大きかったと思う」
「情報伝達の甘さ」、「政府の教育方針」。
これらは現代にもつながる問題であると指摘しました。
私は作品に登場した生き残った看護師の1人、片山きみゑさんの言葉が印象に残りました。