元看護師 片山きみゑさん
「辱め(ソ連兵による強姦)を受けるより死んだ方が良いと思った。大和撫子(清らかな日本女性)という教育を政府からされていたからね」

当時、副婦長の寿美さんも手記の中で、自決した高橋婦長が看護師たちに、こう声をかけたと記しています。
鳴海寿美さんの手記 高橋フミ婦長(当時32)
「自決をして身を護り、日本の国とともに最期を共にしましょう」
当時、大平炭鉱病院に仕事で出入りし、看護師とも知り合いだった由布次郎さん。軍国教育が彼女たちに死を選ばせたと話します。
記者
「看護師たちは、どうして死ぬことが怖くなかったのか?」
当時の看護師を知る由布次郎さん(95)
「今の人には分からない。なんとも思わない、あのころは、操を守るために。生きることではなく、死ぬことをなんともおそれない、そういう教育を受けていた」

日高に引き揚げた副婦長の寿美さんは、67歳まで看護師として勤めました。
事件から47年後、札幌で行われた慰霊碑の地鎮祭で、寿美さんはHBCの取材に胸の内を語っていました。
元副婦長 鳴海寿美さん(当時73)
「この生涯終わるまで、亡くなった方々のことは共に過ごしてきているような感じ」

敵への恐怖心をうえつけ、若い女性たちに自分の命よりも貞節を守って迷わず死を選ばせる、当時の教え。
人の命よりも大切にされるべきものは何も無いと、言い続けられる世の中でなくてはならないと強く感じます。
