元県知事の決断、移転の真相は手狭になった庁舎と車社会

松野さんとは、一体どんな人物なのか。旧穂積町出身ということなので、瑞穂市へ向かい駅前で話を聞いてみました。

(瑞穂市民)
「(瑞穂出身の松野さんと言えば?)ゆきやすさん。元県知事。県庁が移転したときの知事が、ゆきやすさん」

県庁移転を決めたのが、当時県知事だった松野幸泰さん。国会議員時代には国土庁長官なども務め、地元の偉人でもあります。

(瑞穂市民)
「政治的に力のある人だった。(県庁は)強引に引っ張ってきたんじゃない?」
(瑞穂市民)
「(県庁を)岐阜市の司町からこちらに持ってみえて、(瑞穂周辺が)開発されてよかった」

地元では、松野知事が出身の旧穂積町に近いエリアに移転させたのではないかという説が長年、語られているそうです。確かに県庁は、岐阜市中心部より穂積に近い場所に位置しています。

果たして県庁移転の真相は…最後は現職の古田肇知事に直撃しました。岐阜県庁が移転した当時、古田肇知事は高校3年生。田んぼの真ん中の県庁と全国的にも評判になったと振り返ります。

(岐阜県・古田肇知事)
「行政需要も様変わりし、(旧庁舎が)手狭でどうにもならなくなった。それからモータリゼーションが特に昭和30~40年代進んだ」

庁舎が手狭だったことと、自動車の急速な普及でどうしても広い駐車場が必要だったのです。

「新しい気持ちで新しい県政に挑んでいく」第二の都心を目指した松野知事

ところが、古田肇知事は一番の 決め手については、県庁移転の2年前に完成した東海道新幹線の岐阜羽島駅の開業が大きかったのではと言います。

(岐阜県・古田肇知事)
「岐阜駅と岐阜羽島駅の中間に位置するこの場所で十分なスペースが取れるということで、この場所に選ばれたと私は先人から聞いています」

JR岐阜駅と岐阜羽島駅のちょうど中間地点で、岐阜市中心部に次ぐ「副都心」を目指す構想が移転の真相だと言います。実際、当時の松野知事もこんな言葉を残しています。

(松野幸泰知事・1966年)
「新県庁をとりまく第二の都心というか新しい市街地がにぎわしく出現する様子が目に浮かびます」

(岐阜県・古田肇知事)
「副都心まで来ているかというとまだまだやるべきことは多々ある。新しい気持ちで新しい県政に挑んでいく。そういうきっかけになると期待したい」

57経った今も県庁がある場所は、第二の都心と言うよりのどかな田園風景が広がる地域。

少子高齢化も進む中、第二の都心と言うほどの巨大な発展は期待出来るのか。そして必要なのか。いずれにせよ広く県民の暮らしを支える草の根行政こそ必要なのは言うまでもありません。

CBCテレビ「チャント!」1月19日放送より