「私の運命の決まりし最期の時は来た」
日記には、「一晩中 うわ言 連発」など原爆の放射線を大量に浴びた夫の体調の変化や、「私の運命の決まりし最期の時は来た」… 日に日に悪化していくことへの祖母の嘆きが綴られ、日記が書き始められた7日後の8月30日、「くやしかった」という文字とともに夫が亡くなったことが記されています。

祖母からは、ほとんど戦争や原爆について聞いたことがなかったという佐々木さん。しかし、この日記を見つけたことで戦争を“語り継ぐ”ことを決めました。
(佐々木さん 原爆の図 第三部「水」の前で)
「1発(の原爆)でというのがすごい。(この絵のようなことが)起こりうることなんだと。誰もこんな風になりたくてなっているわけじゃない。これが未来の自分だったらどうするかと感じてほしい」

丸木夫妻が描いた原爆の図第3部「水」。本来命をつなぐはずの水が、81年前のあの日、黒い、死の流れとなった情景が描かれています。その横には、小さな色紙の作品も。
「ピカ(原爆)は人が落とさにゃ 落ちてこん」
広島で被爆した丸木位里の母 スマのことばを、丸木俊が色紙に描きました。
戦争を起こす、人類全体の責任を問いかけてきます。

※ピースあいち「丸木位里・丸木俊『原爆の図』展~ピカは人がおとさにゃおちてこん」は2026年9月5日(土)まで開催。










