別の特攻で出撃命令…

3か月の訓練で20人ほどいた部隊のほとんどが死亡し、残ったのは加藤さん含め二人だけ。伏龍は結局、実戦投入されなかったが、加藤さんは別の特攻で出撃命令をうけた。

ベニヤ板で作ったモーターボートに250キロの爆弾を積んで、敵艦に体当たりする「震洋」。米軍から「自殺ボート」と呼ばれ、乗組員2500人以上が戦死した。当時の写真に写る5人の男性は、加藤さんの同じ部隊の仲間。絶望的な状況の中、加藤さんはただ1人、出撃を志願したという。

(加藤さん)
Q.死ぬのは怖くなかった?
「怖くない、全然怖くない。この中で一番年頭だから。あとはみんな1、2歳若い。5人のうち1人も(志願者が)いないことは許されない。特攻隊だから」