シベリアの過酷な労働と食糧難
季節は夏から秋に移り変わっていた。彼を最初に待ち受けていたのは強制労働で、手掘りでの採炭だった。言ってみれば、炭鉱夫として強制的に働かされていたのだ。ツルハシで炭壁を掘り崩し、それをスコップで集めて滑車に乗せて運ぶという単純労働だった。しかし、季節が冬になるとシベリアの寒さが立ちはだかった。ツルハシを振るう手はかじかみ、握れない。さらに、ただでさえ硬い岩壁が、寒さで凍り、より硬くなっていたのだ。その硬さで、ツルハシの刃が跳ね返された。作業効率は悪くなり、課されたノルマを達成することができなかった。作業効率の低下は日々の食事にも跳ね返ってきた。ノルマを達成しないと、その罰として食事の量が減らされてしまうのだ。

「それまで食事は朝晩2回で、少しの黒パンとニシンが配給されたよ」。しかし、その黒パンが何とも言えない食感だったという。口当たりに柔らかさなどなく、しかも水分量が少ないためか、パサパサで、最初口にした時は食えたものではなかったという。ただ、それが主食で毎回配給されたため、嫌でも徐々に慣れていった。