反故にされた帰還と過酷な現実

1945年8月の終戦直前、満州に日本兵として駐留していた長澤さんは、日ソ不可侵条約を破ったソ連軍の攻撃を受け、捕虜として連行された。ソ連兵は「もう少し行けば、汽車が待っている。それに乗って港に行き、船で日本に帰れる」と何度も励ましてくれた。帰国を意味する「ダバイ」というロシア語は、今も脳裏に深く刻まれているという。しかし、どこにも海はなく、かわりに目に飛び込んできたのは雄大な山々だった。「励まされた」のではなく「騙された」と知ったのは、この後だった。日本に帰れるどころか、その後は3年にもわたる抑留生活が続くとは、誰一人として決して予測していなかっただろう。

気づけば2か月の歳月が流れていた。辿り着いた地がロシアにあるシベリアだと聞いたのは、少しあとのことだった。「この場所でどんな暮らしが始まるのか」。想像もできなかった。すぐにラーゲリと呼ばれる収容所に入れられたが、まさか、ここから3年に及ぶ抑留生活が始まるとは思ってもみなかったという。