新潟市中央区に住む村山元威さんは、1924(大正13)年生まれの101歳。
東京の無線通信の専門学校に通い、下関と朝鮮半島南部を結ぶ“関釜連絡船”の無線通信士として、憧れだった船乗りになります。

しかし1945(昭和20)年の1月、20歳になった村山さんを待ち受けていたのは、戦地・満州への出兵でした。

「日本はもう武器からいろいろ不自由になったから…」
「水筒が竹筒、それをみんな持たされて、情けなくなった」

村山元威さんは関東軍の電信第17連隊に入隊し、満州の牡丹江で通信業務に就きます。終戦の知らせを聞いたのは8月22日ごろ。その後、満州の敦化でソ連軍に武装解除を命じられ、捕虜になります。

村山元威さん(101歳)
「いわゆる、ダモイトウキョウ」
「あんたたちの国は負けた、あんたたちは国に帰れるぞ、と…」

ロシア語で「帰る」を意味する「ダモイ」と言われて貨物列車に乗せられた村山さんが1週間ほどかけて到着したのは、祖国とは程遠いシベリアの地でした。