服部はパリ五輪代表選考会・第2回MGC(2023年10月)を目指し大阪マラソン(2023年2月)に挑むも、2時間9分46秒という結果。自己ベストからは2分遅く、2時間8分30秒以内のMGC出場条件をクリアできなかった。その後、ワイルドカード(対象2レース平均タイムが2時間10分0秒以内)でのMGC出場を目指した服部は、大阪マラソンのわずか3か月後、プラハマラソン(チェコ)にも挑んだが、2時間10分34秒と目標には20秒足りなかった。
MGCでは69人が凌ぎを削ったが、服部はこのパリ五輪代表選考会のスタートラインにさえ立つことできなかった。

Q 大阪とプラハのタイムをどう評価していますか?
「やはり全然納得いかないタイムでした。合格点ではないし、自分自身が思い描いているレースでもなかった。そこからです、『ケニア』というものにたどり着いたのは。本当に自分自身を変えなければ、これまでの自分自身のベストも超えられないし、日本代表として世界の舞台では戦えない。もう一度自分自身を見つめ直そうという思いがありました。」
Q 東京五輪の体調不良の影響などはあったのですか?
「五輪の影響については、本当に僕自身もわからないのが正直なところです。明らかに言えたのは、MGC(2019年・2位)の時と同じような流れのトレーニングはできるんだけれども、脚が不調でした。けがで練習がストップしてしまったことが結構多かったです。大阪(2023年2月)が終わってから、両股関節がずっと痛くて。その後のプラハ(同年5月)は、大阪が終わってから急ピッチで仕上げました。プラハは、何とかスタートラインに立って走らなきゃいけないという状況でした。正直、状態面の心配もあったので、それで走れたのは合格だったかなとも言えます。タイム自体には納得いかなかったですが、新たな取り組み方をつくれました。短期間でもう一度走りを仕上げに行けたことは、ある意味、自分自身の幅を広げられた大会がプラハだったかなと思います。MGCを逃した絶望感というか、悔しさは最初は出てきましたけど、とにかく脚も痛かったので、何とか走り切れた安堵感もありました。」