お調子者だった葛西は、よく父親に怒られていた

葛西
「父のポマードありますよね。あれを1人頭に全部塗っちゃった時があったんです。大人の仲間入りしたくて。ちょっと調子に乗るとうちの父に、青森弁で言うと『もつけ』(おだてにのる人、お調子者など)と言われましたね」

親戚に預けられた子ども時代 寂しさを埋めたバス通学
親の仕事の都合で、両親と弟2人は東京へ。葛西だけ青森の親戚の家で過ごすことになった。1人残され寂しい毎日の中、バスでの通学を始めたことが、葛西の寂しさを埋めた。
葛西
「通学の時にバス乗ってると運転手さんがかっこいいなと思ったんですよ。自分の中でかっこいいなっていうのは運転とかじゃなくて、優しさと思いやりだったんです。家に帰るよりもバスにいる方が居心地良くなっちゃったり、小学校の文集にも将来はバスの運転手になりたいと書いた記憶があります」

上京し電気メーカーに就職。そして家族ができる
中学生の頃、絵が展覧会で入選したのをきっかけに葛西は絵を書くことが好きになり、休みになると描いていた。
葛西
「よく鰺ヶ沢の漁港の絵とか、風景画を休みの時は描きにいってましたね」
高校卒業後、同級生内でも上京して就職する人が多かった中で、葛西も上京して電気メーカーの工場に就職。そして家族ができる。

葛西
「現在の妻がハム屋さんでバイトしてたんですけども、そこに足しげく通って。高校を卒業してこっちに出てきてすぐなので、18歳の頃から付き合って20歳で結婚して、もう21の頃には子供がいたので、それでもう、(家族のために頑張らなきゃと思った」
