八戸高校で野球に邁進した後、夢だった大工になることも考えたが、親の心配と助言もあり、進学して建築の勉強をすることにした。

小池
「建築を勉強して例えば建築士になれば、そういう(大工の仕事に)近い道もあるんじゃないかみたいな。将来大工さんになってもいいけど、とりあえず資格取ってみたらっていうことでどちらかというと設計の方を、将来の仕事として考えるに至りましたね」

東北大学に進学し建築で勉強する中で、あまりにもすごいデザインをする友人に圧倒され、自分は構造設計の道へ。

小池
「逆に自分はどちらかというと数学的なところが得意だったところもあり、建物の安全性であったり、骨組みを作る構造の設計の部分が、得意種目になるのかなと思って、そっちの専門の研究室入りました

価値観を変えた仲間の言葉

大学在学中にニュージーランドへ短期留学。そのとき出会った友人の価値観がきっかけで、働く場所の選択肢が東京から山形へと変化する。

小池
「一緒の(大学の)研究室の仲間、現地のニュージーランドの人なんですけど『なぜ日本人はみんな東京で働くんだ。みんな東京に行くのは何でなんだ』という話があって、確かにそうだなと。(それぞれの)地域好きだし、別に東京に行かないといけない理由って、それが当たり前だと思っていたけど そうじゃないんじゃないかと。東北に残って東北で働く、将来は青森かもしれませんが…そのような生き方だってあるんじゃないかとニュージーランドで気づかされて」