津軽訛りへのトラウマと重なる悲運…

佐々木
「(高校は)同じ青森県内なんですけども(自分の訛りを)笑われて、『すごい訛ってる。おかしい。』って言われて、それからちょっと無口になったんですよ。それが自分的な高校のときのトラウマ。」
ボーイッシュな見た目とテニスが上手だったことから、女子のファンが増えていった。しかし、高校2年生のとき悲運な出来事が佐々木を襲う。

佐々木
「高校2年生のとき家が全焼。」
「家が無くなったので住む所もなくなったので、何もなくなっちゃったなみたいな。」
さらに、兄が病気になったことで、気持ちが滅入り大学受験は諦めた。親がやっていた床屋と飲食店。卒業後は飲食店の手伝いをしていたが床屋の拡大を考え、資格は取ったものの少し働いてみて自分に向いてないことに気づき断念。


佐々木
「うちの父親の弟が、五所川原で昔からカフェバーとか喫茶店とかそういうお店をいくつもやっていて、それを見ていて楽しそうだなって、ちょっと経ってから自分で居酒屋をやろうと思って、居酒屋をやりましたね。」
五所川原で19年間お店を営んでいたが借りていた場所の大家さんが高齢になっていったため、その先の更新がなくなった。そのときにふとよぎったのが東京でお店をやってみたいという気持ちだった。
