多忙でも続けた選手とチーム運営 二足のわらじ 

黒澤玲央さん
「20歳ぐらいの時ですね。たぶん同級生だったと思います。Jリーグやバスケや野球のチームになぜ企業名が入っているのか、または企業名ではなく地域名が入っているのかを教えてもらったときに、そのチームの中で働いている人はどういう感じなのか、自分でやってみないとわからないなと感じた。そして、アイスホッケーのチームをつくりたいという思いは、今考えると、たぶん大学の時に仲間とその話をしている時からちょっとずつ出てきたなと感じます」

『思いついたら即行動』が黒澤さん流。みずからカナダやアメリカへ行き、本場のアイスホッケーを体感した。

帰国後は、栃木県の日光アイスバックスに在籍。選手としてだけでなく、チームの運営に関する業務も行っていた。

黒澤玲央さん
「社会経験を積むには、すごく良いことをやれているなと思った。将来的に自分でチームをつくるとなったら、これは全然マイナスにはならない、逆に得るものが多いなと感じていました。すごく忙しい生活でしたけど」

退団後は、スポーツ業界で働く際に必要な社会人経験を積むために、商社に転職した。その後、京都のバスケットボールチームの営業として働き始める。