父親の背中を見て決めた料理への道

サッカー少年だった上原は、父親が飲食店をやっていたこともあり、小さい頃から美味しいご飯を味わっていた。

上原浩一さん
「(実家が)定食屋と居酒屋を兼務していたようなお店だったので、トンカツや、その日に獲れたお魚を刺身定食にしてもらったり、父親の趣味で山にキノコを採りに行ったり…。仕入れると高いものばかり食べてたなと思います」

父親の背中を見て育った上原は、小学生の頃から料理の道に進むことを決めていた。高校卒業後は、料理の勉強をするために青森市内の調理師専門学校へ。この時点で上原は既に先のことを考えていた。

上原浩一さん
「調理師学校に行った後に東京出て働こうと思ってました。根拠のない自信はありましたね。自分はやれるっていう自信があったんですけど、その自信も砕いてはまた作って砕かれてまた作ってを繰り返しながら、ちょっとずつコツコツ積み重ねてきた感じです」

目指したのはフランス料理、それは一番謎の部分が多かったから…。

上原浩一さん。
「和食、イタリアン、中華に比べたら、フランス料理は出てきた料理が、これどうやって作ってるの?ってわからない。そこにすごい興味があって」

上原の中で“一皿の中に驚きがたくさんあった”というフランス料理を学ぶため、東京のフランス料理店で働き始める。

しかしまた先のことを考えていた上原は、より深くフランス料理を学ぶため、働いていたお店のシェフに紹介してもらい、西荻窪のフランス料理店「サン・ル・スー」で働き出す。