甲子園で春夏通じて初の4強に駒を進めた青森山田。21日に県勢としては12年光星学院(現八戸学院光星)以来12年ぶりの決勝進出をかけて京都国際と対戦する。今年の青森山田の部員数は85人。そのうち3年生は26人。アルプススタンドには最後の夏、悔しさをかみ殺しながら一緒にグラウンドで汗を流した3年生がいる。オンエアでは紹介しきれなかったある3年生野球部員の思いを伝える。

25年ぶりの8強に進出がかかった今月16日の県立石橋高校との3回戦。30度を超える気温の中、一塁側スタンドに陣取る応援団の中に、ユニフォームを着た野球部員たちがいた。試合に出る選手がいれば、その逆もいる。青森山田の部員は85人(マネジャー4人を含む)。甲子園の登録メンバーは20人。そこに、学年は関係ない。

◆失った背番号

水瀬惇之介投手(3年)は、今年の春の青森県大会で背番号20を背負っていた。計2試合に登板して失点は0。甲子園出場に闘死を燃やしていたが、春の東北大会では唯一のメンバーを外れた。失った背番号は夏の県大会でも戻ってくることはなかった。

水瀬投手(左)と駒井選手(本人提供)

※青森山田・水瀬惇之介投手
「自分はとんでもなく悔しかったです」

◆親元離れ青森山田へ

水瀬投手は兵庫県出身。小学1年生から地元の相生市で野球を始め、中学は神戸のシニアチームで腕を磨き、親元を離れて青森山田に進学した。

※青森山田・水瀬惇之介投手
「甲子園は地元なので…より悔しかったです。(県大会の)最初の方も、優勝してからも自分の中で気持ちの整理はついていませんでした。本当に悔しかったです」

チームの優勝よりも投げることができなかった悔しさが残った水瀬投手。それでも、優勝を決めた仲間のある行動に心を大きく動かされた。

※青森山田・水瀬惇之介投手
「寮に戻ったあと、メンバーからメンバー外にいる選手にメダルをかけてくれたんです。自分にもかけてもらって、その時に『これはみんなでとった勝利なんだなと改めて思って、涙が出てきました。そこで初めて気持ちの整理がつきました」

◆ライバルがかけてくれたメダル

メダルをかけてくれた相手はベンチ入り最後の一枠を争ったライバルの背番号「20」。駒井利朱夢選手だった。

※青森山田・水瀬惇之介投手
「春大会のあと唯一、入れ替わったので。でもその時に『もういいか』と心からサポートに回ろうとそう思えました。その後、風呂場で2人になることがあって、その時も「がんばれよ」って駒井に声をかけました。悔しいとかはなく、純粋な気持ちで」

地元で開催される甲子園。本当は大歓声を受け、両親の前でマウンドに立つことを思い描いていた。それでも水瀬投手は仲間をねたむことも、腐りもしなかった。応援団の最前列に立って声援を送っている。今大会、水瀬投手の役割は応援だけではない。

※青森山田・水瀬惇之介投手

「バッピやっているんで。昨日も投げました。肩と肘が張ってますね……。気持ちよく打ってもらえるように投げています」

◆青森山田打線を支える縁の下の力持ち

大会期間中の練習ではほぼ毎日投げている。疲労が溜まるのは当然。それでも、野球を楽しむように投げこんでいた。強力・青森山田打線を支える縁の下の力持ちだ。

普段は同じ3年生の右腕、櫻田朔投手と仲がいい。櫻田投手に水瀬投手について聞いてみると「(練習で打ってみて)球のキレがよかったですね。ピッチャーの中で1番です」

野球はこの3年間で区切り。大会前はそう思っていた-。ただ快進撃を続ける仲間の姿をみていると心が揺れ動く。

※青森山田・水瀬惇之介投手

「前より野球が好きになっちゃんたんです。青森山田に来て。みんなとレベルの高い組織と環境で生活ができたのは自分にとってよかった。もっと純粋に野球がしたいです」

◆青森山田で過ごした日々

県外出身ー。野球留学ー。そういう人もいる。ただ15歳で親元を離れる決断をしたからこそ、思えたことがある。

「青森に来て良かった」。

ユニフォームに背番号はなくてもグラウンドでともに戦っている。