フィギュアスケートで、オリンピック2連覇を果たした羽生結弦選手が19日、記者会見し、競技から退き、プロに転向する決意を語りました。
宮城県で初めて、オリンピックのフィギュアスケート代表となった及川史弘(tbcスポーツ部長)が、同郷のオリンピアンとして、羽生選手の「決断」について語ります。

なぜこのタイミング?

松尾武キャスター:
「TBCスポーツ部長で、1994年リレハンメルオリンピック・フィギュアスケート代表の及川史弘に聞きます。及川さん、このタイミングでの羽生選手の発表とは、どのような意味があるんでしょうか?」

1994リレハンメル五輪フィギュアスケート代表・及川史弘(tbcスポーツ部長)
「4月に入っての会見になりましたけれども、本来羽生選手自身は、もうすでに2月の北京の時に、引退という気持ちはあったと断言できると思います。
ただ、彼ぐらいの選手になりますと、本人が引退したい、それだけでは、なかなかすぐに発表できることではありません。4月には特別指定選手として発表されましたので、『あれ?続けるのかな?』っていうところもありました。
ただ、もうどんどんシーズンに向かっていき、8月には国内大会、10月にはグランプリシリーズなど国際大会が始まるというところで、このまま引っ張るわけにはいかないということです。本人の代表枠もありますので。
そういったところも考慮して、彼自身、けじめをつけたというような形で、後輩に譲ったというようなところが、きょうのタイミングだったのかなと」