小澤征爾さんの死去を受け、長年にわたる親交があった長野県松本市のボランティア関係者や若手音楽家からも、小澤さんをしのぶ声が聞かれました。
OMFの前身、サイトウキネンフェスティバルの初期にボランティア協会を立ち上げた青山織人(あおやま・おりと)さん。
設立当初からフェスティバルを陰で支えてきました。

(SKF松本ボランティア協会を設立した青山織人さん)
「全然、ぶらない人だし、気さくな人で…全ての人にそうなんじゃないかね…。別にボランティアにだけというのではなく、全ての人に公平というか 誰にでもざっくばらんに率直に接する人ですよね」
小澤さんの松本に対する愛を間近に感じていた青山さんは、その思いをつないでいくことが松本にとって大きな財産になると感じています。

(青山織人さん)「“世界のオザワ”と言われた人が、松本にこれだけ力を尽くして、それは簡単にはなくなりっこないし 車いすの状態で、でも松本のステージに上がってくる小澤さん その思いはやっぱりつないでいかなければいけない それをやっぱり 小澤さんも期待しているんじゃないかな」
フェスティバルでは、ボランティアが出演者やスタッフをもてなす「そばパーティー」が恒例で、そば好きだった小澤さんもパーティーを毎年楽しみにしていました。

(2014年のそばパーティーでの小澤さん)「サイコー、素晴らしいよ おいしい、おいしい!このね、違いが分かるようになるまで相当手間かかるんですよ、毎年」
清水絹子(しみず きぬこ)さんは長年、そばパーティーのリーダーを務めました。
(清水絹子さん)
「もう本当にショックで すぐにこの写真を見て いろいろなことを思い出して…。(小澤さんは)おそばは、釜揚げが好き。みんなのところにまず 挨拶に来て「ありがとう」って言ってまわって歩くんですけれども、釜のところに行って、釜揚げのそばを食べるのがすごく好きでしたね」

そばパーティは16人の愛好家が450人前ものそばを打つ一大イベントになりましたが、笑顔が絶えない現場だったと振り返ります。

(清水絹子さん)「周りの人たちがいつも笑っている 小澤さんから元気をもらったんじゃないかな。小澤さんのその迫力というか やっぱりオーラが違った」
小澤さんは指揮者としてステージに立つかたわら、若手音楽家の育成にも力を注ぎました。
長野市出身のテノール歌手 池田徹(いけだ・とおる)さんが小澤さんに初めて会ったのは、長野オリンピックで「雪ん子」を演じた時でした。

(小澤征爾音楽塾出身のテノール歌手 池田徹さん)
「長野オリンピックの開会式のリハーサルに顔を出してくださって、そのときに自分が12歳。1人ずつ握手してくれたりとか子どもたちにも同じ視線ですごく親身に接してくれたという記憶がすごく鮮明に残ってます」
池田さんは国立音大を卒業後、「小澤征爾音楽塾」をへて、テノール歌手として活躍しています。

(池田徹さん)「私たち歌い手に指示する姿も ものすごく熱意にあふれていて 迫力がある方なんですよね。学んだことは多分ずっと礎になってくれるような、そんなマエストロだったと思います」














