シリーズ「現場から、」です。能登半島地震の被災地では避難の長期化が予想されています。2004年に新潟県で起きた中越地震の教訓から避難のあり方とふるさとの復興について考えます。
震度6強を観測した石川県珠洲市。被災者から聞かれたのはふるさとを離れることへの葛藤でした。
加賀市の旅館に2次避難
「住む家はないし、こんなことになるとは夢にも思わなかったですけど」
珠洲市に残ることを決断
「離れたくない。最後まで息子といたいです」
最大震度7を観測し、新潟県の中山間地に甚大な被害をもたらした2004年の中越地震。旧山古志村では当時の長島忠美村長が「全村避難」を決断し、地震発生からわずか2日で、およそ2200人の村民ほぼ全員がふるさとを離れました。
当時、山古志村の企画課長で、地震後は山古志支所長として復興に尽力した青木勝さん(73)です。
元山古志村 企画課長 青木勝さん(73)
「行政と住民の距離がすごく近いというかね。村長が決断したなら、それしかないと。(全村避難が)ベストな選択だったと思う」
村が大切にしたのは、地域コミュニティーを崩さないための工夫です。避難先となった体育館も集落ごとに分け、仮設住宅も住んでいた集落ごとにまとまって住んでもらいました。そして、「帰ろう山古志へ」を合言葉に、ふるさとの将来像を描きながら3年2か月にわたって避難生活を続けました。
山古志村村長(当時) 長島忠美さん
「私どもの許された道はたった一つです。自らスコップを持ち、自らくわを持ち、あの地を復興するという気持ちに他ならない」
村民の7割が村に帰りました。
全村避難を経験 星野サツ子さん(75)
「コミュニティーを保てるように、仮設住宅も避難所もみんなまとめてくれたから、集落としてどうするかっていう話し合いもできたし、するから、必要な2年、3年だったんだろうなと」
一度集落を離れたことで、ふるさとの良さを改めて実感したそうです。
全村避難を経験 星野吟二さん(76)
「何年もかかっても、夢だけは捨てないで、うちに帰れるという夢だけは捨てないで頑張ってもらいたいと思うけどね」
青木さんは、「能登半島の被災地でも集落ごとに一度ふるさとを離れ、避難生活を送ることが復興の近道になるのではないか」と考えています。
元山古志村 企画課長 青木勝さん(73)
「集落ごとに避難する形をモデルにしてしまえば、そこで避難しながら実際に復旧されるまでの間に、いろいろな形で地域をどうすればいいのかということの考え方もまとめられるわけだ。一回離れるというのもありなんじゃないかと思う」
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