お互いの存在がプラスになっている、と口を揃える2人。苦しかった時期にお互いをどう支え、オレゴンに向けてはどう助け合ってきたのだろう。
同じレースで世界陸上代表に
ギネス世界記録「夫婦によるマラソン完走の最速合計タイム|Fastest marathon run by a married couple - aggregate time」が誕生したのは、今年3月6日の東京マラソンだった。4時間27分05秒がギネス記録だったが鈴木が2時間05分28秒、一山が2時間21分02秒で走り、合計4時間26分30秒で大きく更新した。2人はギネス記録を狙っていたわけではなく、「世界陸上オレゴンを狙っていたら結果的に達成できた副産物です」と鈴木は明言した。そのくらい2人の、“東京マラソンで世界陸上代表を決める”という気持ちは強かった。
まずは一山だが、東京五輪男女マラソンに出場した6人のうち唯一、翌年の冬の間にマラソンを走った選手である。一山も11月のクイーンズ駅伝までは低調だったが、鈴木と2人でオレゴンを目指す気持ちが強く再起ができた。
鈴木は元旦のニューイヤー駅伝後に大きな不調に陥った。富士通の高橋健一駅伝監督は「1~2月の徳之島ではすごく練習ができたのですが、千葉に戻って来てから(設定タイムなどが高く負荷の大きい)ポイント練習を設定通りに走れなかったり、距離走を途中でやめたりしました」と説明する。原因ははっきりしないが、疲労のコントロールが上手くできなかったのではないか。チームとして東京マラソン欠場も検討したが、最終判断は選手に任せ、鈴木は出場に踏み切った。

しかし鈴木は、一山と同じレースで代表入りすることにこだわった。蓋を開けてみれば2時間05分28秒で日本人トップの4位。大迫傑(31・ナイキ)の前日本記録(2時間05分29秒)を上回ったのは高く評価できた。
一山も日本人トップの6位、2時間21分02秒で10000m日本記録保持者の新谷仁美(積水化学・34)を40km付近で引き離した。鈴木も一山も自己セカンド記録で日本人1位をとり、夫婦そろって世界陸上代表を決めた。
共通点も多い2人のマラソン戦績
東京マラソンに限らず2人のマラソン戦績には共通点が多い。▼鈴木健吾のマラソン全成績
※左から(回数、年月日、大会、順位、タイム)
1 2018 2.25 東京 19(13) 2.10.21.
2 2019 4.28 ハンブルク 13(4) 2.11.36.
3 2019 9.15 MGC(東京) 7 2.12.44.
4 2020 3.08 びわ湖 12(7) 2.10.37.
5 2021 2.28 びわ湖 1 2.04.56.
6 2021 10.10 シカゴ 4(1) 2.08.50.
7 2022 3.06 東京 4(1) 2.05.28.
▼一山麻緒のマラソン全成績
※左から(回数、年月日、大会、順位、タイム)
1 2019 3.03 東京 7(1) 2.24.33.
2 2019 4.28 ロンドン 15(2) 2.27.27.
3 2019 9.15 MGC(東京) 6(2) 2.32.30.
4 2020 3.08 名古屋ウィメンズ 1 2.20.29.
5 2021 1.31 大阪国際女子 1 2.21.11.
6 2021 8.07 東京五輪(札幌) 8(1) 2.30.13.
7 2022 3.06 東京マラソン 6(1) 2.21.02.
初マラソンは1年違いだが同じ東京マラソンで、初マラソンとしては合格点のタイムで走った。だが2人とも東京五輪選考会のMGC出場資格を得ることができず、次の海外マラソンと合わせ技(2大会平均記録)で出場権を得た。東京五輪代表切符を取ることはできなかったが、MGCでは一山が序盤で、鈴木は中盤でトップに立って見せ場を作った。
足並みがそろわなかったのがMGCの次のマラソンである。一山が女子単独レース日本記録で東京五輪代表切符を得たのに対し、鈴木は中途半端な結果に終わっている。富士通入社後2年間はマラソンの東京五輪代表選考に関わるレースが続いたため、スピードを研く時間がなかった。鈴木はトラックのスピードランナーというわけではないが、その部分がしっかりできているときにマラソンで走れている。

そんな2人だが、21年以降もすべてが順調だったわけではない。
鈴木は人前に出たり注目されたりすることが苦手で、日本記録保持者となったことに息苦しさを感じていた。
「取材も多くなりましたし、他の選手が出る試合でもコメントを求められたりしました。自分が出る試合では失敗できないですし、知らず知らずのうちに自分にプレッシャーをかけていました」
その心境は一山も理解できたという。
「私も東京五輪を決めてから、どこに行っても頑張ってと言われたりして、そういう雰囲気を経験していました。日本記録はすごいことなので、きっと私以上にプレッシャーを感じてしまっていたのだと思います。結婚するまではLINEでのやりとりが多かったのですが、ちょっと元気がないんだろうなということを感じられたときは、1人で抱え込まないで話してね、ということは言っていました」
鈴木が一山を支えたこともあった。東京五輪が延期になったり、トレーニングを1人で追い込んで行ったりしていた時期に「燃え尽きそう」(一山)な状態だった。「東京五輪前に少しだけ一緒に練習したことがあって、助けてもらいました」
鈴木が「僕らの抱えていたことはなかなか理解してもらえないことではあるので、一番理解してくれる存在が近くにいるのは心強かった」と言えば、一山も「やっている競技も同じだし、精神的にも肉体的にも苦しい部分がわかり合える。行き詰まりそうになったときに救われたことは何回もあります」と話す。
結婚後は一緒に練習する機会を増やそうと2人が考えたのは、自然な成り行きだった。
夫婦合同練習も行いオレゴンに
2人はオレゴンに向けて合同合宿を組んだ。5月には準高地(標高約1300m)の長野県菅平で約3週間、6月8日から約1カ月間は高地(標高約1800m)の米国ニューメキシコ州アルバカーキで行った。もちろん同じメニューを一緒に走るわけではないが、同じ場所でトレーニングを行うこと自体が2人には効果がある。鈴木は故障を何度もしてきたし、今年の東京マラソンや昨年のニューイヤー駅伝前がそうだったように、(おそらく練習で追い込み過ぎて)走れなくなったことも何度かある。だが昨年のニューイヤー駅伝は6区区間賞で優勝に貢献し、今年の東京マラソンは前述のようにセカンド記録の日本最高で代表を決めている。
富士通スタッフによれば2月の練習は、日本記録を出したびわ湖マラソン前の5~6割だったという。それでも不調になる前に一定期間、練習をしっかり行っていていれば、不調を抜け出せば一気に調子が上がってくる。
高橋駅伝監督は「マラソンの後に休んでから立ち上げるときに、よく問題が起きる」と説明する。
「東京マラソンの後もちょこちょこ痛みが出ていました。しかし東京マラソンのときに本人が、自分のバイオリズムというか疲れの出方などをつかんだのだと思います。アルバカーキに入ってからは順調に練習ができました」

一山も14日の会見で「ここまでケガなく、いつも通りのマラソン練習を継続してきました。順調に、大きな問題なく練習は積めましたし、80%くらいはやりきれたかなと思っています」と話している。
一山は資生堂の永山忠幸コーチの立てる厳しいメニューを、絶対にやり抜こうとする。心身とも追い込んで前述のように「燃え尽きそう」になることもあるが、MGCを境に永山コーチとのコミュニケーションを密に行うようにした。メニューへの理解度を深め、一山が自身の状態を説明することもできるようになった。それに加えて鈴木と同じ場所で練習することで、より前向きにトレーニングに取り組めたのは間違いないだろう。
エントリーリストを見るとやはり、ヨーロッパやアジアのアフリカ出身選手たちを含めたアフリカ勢が優勢だ。自己記録で鈴木が12番目タイ、一山が11番目である(ここでも同様のポジション)。
2人に自己記録以上の順位を望める根拠があるとすれば、今回のトレーニングが順調にできたことと、2人とも暑さに強いことだろう。付け加えるなら2人とも、レース後半にも強い。鈴木の日本記録のときの35~40kmは14分39秒で、世界トップレベルと戦えるレベルだ。東京マラソンでは20~25kmを14分38秒にペースアップして、早い段階で代表争いに決着をつけた。
一山は名古屋の30~35kmを16分14秒にペースアップし、40kmまでも16分31秒で押し続けた。
夏のレースなのでそこまで速いペースにならないだろう。先頭集団に動きがあったときに、2人とも対応できる能力がある。
会見では鈴木が、目標を次のように話していた。
「やっと世界にチャレンジできるときが来た、と感じています。国内では追われる立場でしたが、この大会は世界の強い選手にチャレンジできる場。表彰台に上ることが理想ではありますが、謙虚に入賞というところを目指していきたい」
一山は別の取材で「目標は東京五輪の8位より上を」と話していた。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)