祖父思いだった孫娘、2人は能登半島地震で建物の下敷きとなり、亡くなりました。シリーズ「現場から」。残された遺族は在りし日を偲びながら、それでも前を向こうとしています。

弘幸さんの長男 中山勝実さん
「(美和さんは)『じいちゃん心配やさけ、見に行く』と見に行った。多分(祖父を家に)連れてくる途中だったんだろうと思うけど、あんなんなってもうた」

中山弘幸さん、91歳。その孫・小泉美和さん、29歳。2人は1日の地震で命を落としました。

記者
「弘幸さんと孫の美和さんは、畑の方向から自宅に戻る途中、ちょうどこの辺りで、こちらの納屋に下敷きになり、亡くなったということです」

弘幸さんが暮らしていたのは七尾市能登島。能登半島と2本の橋でつながる七尾湾に浮かぶ島です。

美和さんは正月休みに合わせ、東京から祖父の弘幸さんに会いに来ていました。弘幸さんの長男で、美和さんの叔父にあたる男性に話を聞きました。

弘幸さんの長男 中山勝実さん
「美和はすごく気配りのできる子。いい子だった。盆・正月には小さい時からずっと来ていた。いい子すぎてダメやったんかな」

新年の元日、石川県では最大震度7の地震の数分前にも震度5強の地震が発生。美和さんは1度目の揺れの後、家から十数メートル先の畑にいた弘幸さんを迎えに行き、家に戻る途中、2人で納屋の下敷きになりました。

弘幸さんの長男 中山勝実さん
「『とーちゃん』『美和』って言いながら見に行ったけど、返事ないげん。潰れとる瓦をめくってバールで穴開けて(探した)もう2メートル家のほうに上がっていれば、ああはならなかった。(見つかったとき)2人並んでおった」

弘幸さんは、周囲から「100歳まで生きる」と言われるほど活発な性格だったといいます。

近くに住む 室屋繁昭さん
「91歳に思えず、元気で元気で。草刈り機を担いで、一人で。若い人が負けるくらい動いていた」

自然災害によって奪われた命。それでも、残された遺族は前に進むしかありません。

弘幸さんの長男 中山勝実さん
「91歳までいてくれたんだ。ありがとうって、そう思う。そんなんして考えていく。これからできること、おやじ思い出しながら、こうやな、こうやなってやっていく。ちょっこしずつやで」