漫画の世界じゃない 本当に実践した“人工降雨作戦”

雨乞いをしても、なかなか降らない雨。日に日に乾いていく沖縄が希望を託したのが「航空機」でした。その名も“人工降雨作戦”。

県幹部と自衛隊、そして専門家らが集まって、人工的に雨を降らせる方法を協議。『大量の水を積んだ自衛隊機を飛ばし、水を撒いて雲を刺激する』という作戦が実行され、のべ10日間のミッションでしたが、期待したような雨は降りませんでした。

現在もまだ確立していない人工降雨に、42年も前に沖縄は挑戦していたのでした。

タンクが立ち並ぶ、かつての沖縄の光景も、度重なる断水が生み出したものといえます。

タンク製造業者の電話のやりとり(1980年代に取材)
「もしもし、津嘉山ステンレス工業です。断水騒ぎで注文の方が殺到していますので、ちょっと2、3日待っていただいているんですけど。そうですね一般家庭用としては1トン半から2トンのものがよく主にでています」

断水の見通しが発表されるたびに、タンクの製造業者に注文が殺到、生産が追い付かない事態となりました。

津嘉山ステンレス工業 久田友啓さん(1980年代に取材)
「フル操業です。それでも資材関係の到着の遅れで十分に対応できないですが、だいぶ注文を抱えています」

当時は1日置きに断水する「隔日給水」が数年に1回のペースで起きていました。

各家庭では給水日に翌日分の水をタンクにためて、断水の日にこれを使用。無数のタンクは、断水に備えた住民の自衛策だったのです。

また人工透析を行う病院も頭を悩ませていました。

嶺井病院 嶺井定一院長(1980年代のインタビュー)
「だいたい1人の患者さんが週2、3回、1回5時間受けていますけど、ぜんぶ水を通して毒素を抜いていく、20~30人の患者さんの透析をすると1回で10トン以上の水を使う、断水が2、3日も続くと大変なことになるのではないかと非常に心配している」