(夏目みな美アナウンサー)
被災地を取材したCBCの矢野記者に話を聞きます。
矢野さんは能登半島の、どの辺りを取材したんでしょうか?

(矢野司記者)
私は地震発生6日目の1月6日から9日までの4日間、主に珠洲市・穴水町・七尾市を取材してきました。

(夏目)
地震発生6日目からということになりますが、現地のどのような状況だったのでしょうか。

(矢野)
取材の2日目から雪が断続的に降っていて、底冷えするような非常に厳しい寒さが続いていました。
避難所でもカイロを全身に貼って防寒をされる方がいたり、電気が通っている避難所では電気ストーブ、灯油ストーブの周りに人が集まっている様子を目にすることができました。

(夏目)
その積雪が支援物資を届ける活動や取材も困難にしますよね。

(矢野)
私達も移動中に、雪で地面が覆われてしまって地震によってできた地割れや段差が見えなくなり、そこに乗り上げてしまうというようなことも多くありました。

(夏目)
4日間でどのようなことを取材したのでしょうか。

(矢野)
今回、私が目の当たりにした1つ目の出来事は、93歳の女性が地震発生から124時間後に奇跡の救出をされたことでした。
私は取材初日の午後6時ごろに、この情報を得て現地へと向かいました。
辺り一帯は停電していて真っ暗で、明かりは救助隊と報道陣の照明だけという非常に緊迫した中で、最初は福岡県警が救助活動にあたり、その後に警視庁や他の都道府県の警察が支援に加わったという状況でした。
救助活動は私たちから離れた場所で行われていたので、直接救助する場面を見ることはできなかったのですが「まだ脈がある」とか「今、点滴をしている」という情報が伝わってきたりしたほか、「頑張れ、頑張れ」と女性を励ます声が聞こえてきました。
また、湯たんぽや酸素ボンベが運び込まれる時は、まだ助かるチャンスが必ずあると感じました。
地震発生から救助されるまで124時間、そのうち現場に到着してからの2時間半、非常に寒い中で取材する中で、やはり強い生命力というものを感じました。

(夏目)
大石さん、こうした倒壊現場に人がいるかどうかという安否確認情報というのも鍵を握ってきますね。

(大石邦彦アンカーマン)
そうですね。都会の場合は「向こう三軒両隣」は見えませんが、能登半島のような地域は近所同士の顔が見える関係なんですよね。
その顔の見える関係、避難所では有効と言われていましたけれども、こういった安否確認をする場合でも「どの家の誰がいない」という気付きにつながって、それが捜索に生きたということ、被災地で矢野記者は感じませんでしたか。

(矢野)
はい、初日に珠洲市で取材をしていた際、建物が倒壊した現場を警察が回っているところに遭遇しました。
すると、歩いていた女性が警察官に駆け寄って「この家の人は今、金沢に避難している」「この家の人は私と同じ避難所にいるから大丈夫」と1軒1軒の安否情報を警察に伝えている、そうした場面でコミュニティのつながりを感じました。