外務省は毎年、30年経った外交文書の機密指定を解除し公開しています。今回は1992年の天皇皇后両陛下(今の上皇ご夫妻)が、初めて中国を訪問された経緯を記した文書が明らかになりました。訪中関連だけでおよそ3400ページに及ぶ文書には、日本国内の根強い反対論を抑え、水面下の協議を繰り返し、そして陛下の「おことば」について細心の注意が払われた経緯が記されていました。

30年前の外交文書公開 陛下の「おことば」に期待と関心

1992年10月23日、中国を訪問した天皇陛下は、楊国家主席が主催した晩さん会で、こう述べられました。

「両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」

公開された外交文書では、91年11月、外務省内で天皇訪中を検討している段階で「おことば」について、こう記されています。

<天皇訪中に関するアジア局 ポジション・ペーパー(案)>
「中国政府は昭和天皇の戦争責任の問題に触れることについては、敢えて自制するものと考えられるが、日本の過去の行為について天皇から何らかの『お言葉』を期待していることは否めない」

92年2月になると、中国側から「おことば」についてのアクションが相次ぎます。

2月21日、中国の楊駐日大使が都内の講演で「かつての両国の不幸な時期の歴史に対して、一つの態度表明を行われれば、両国人民とともに大変に自然なことであると感じると思います」と発言。

これが中国からの「謝罪要求」と受け取られ、訪中反対派が反発。外務省の当時の小和田次官は楊大使を呼びつけ「国内的に極めて微妙な問題であり、陛下のお言葉については政府として一切コメントしないとの立場を貫いている。中国側としても如何なる人の口からも、コメントをしないようお願いしたい」と申し入れます。

しかし同じ2月21日付け、当時の橋本恕・駐中国大使から外務省宛の至急電では、こんなやりとりが。

「20日、宴席で隣あわせた武大偉・外交部日本処長から槙田(公使)に内話せるところ、次の通り。(中国は)特に過去の歴史の問題について大きな関心を有している。もしこれが不十分なものになると中国国内世論に一定の反応が起こることが憂慮される。事前にお言葉を見せていただき、比較的低いレベルで話をするということを行ってはどうかと思う」

これを受けて同29日、北京で協議が行われます。