乗用車が暴走・・・運転は87歳の男

事故は2019年4月、東京・池袋で、当時87歳だった男が乗用車を暴走させ、居合わせた松永真菜さんと長女の莉子ちゃんの2人を死なせました。また9人にけがを負わせたとして、禁固5年の実刑判決(21年9月に刑が確定)を受けたものです。

当日、事故を知らせる電話が警察からあったことや、2人との無言の対面を果たす様子が詳細に語られると、聞いている人は目を赤くしてうつむいたり、拳を握りしめたりしていました。

男が旧通産省幹部だったこと、事故直後に逮捕されなかったことから「上級国民」などと非難の声が集まりました。

「命っていうのは、なんて尊いものなんだろう。わが子っていうのは、なんてかわいいんだろう。新しく生まれてきてくれたこの命を、命をかけてでも守ろうと。一生懸命産んでくれた真菜も。この3人で生きていこうと、2人を大切にしようと心に決めました」
松永さんは莉子ちゃんを初めて抱っこしたときに、莉子ちゃんが指を握ってくれたことを思い出しながら「あんなに柔らかくて温かかった手が、こんなに硬く冷たくなってしまった。命が終わったんだと。あんなに尊いと思った命が終わってしまったんだ」と、事故当時の思いを「絶望」という言葉で振り返りました。

さらに松永さんを追い込んだのは、加害者の否認です。絶望から、松永さんはみずから命を絶つことも考えたと言います。

「『お父さん、やめて、死なないで』って言われた気がして」
聞こえてきたのは莉子ちゃんの声でした。

2人の葬儀を控えた松永さんには、報道各社から、会見やコメントの要請が届いていました。「最初は応じるつもりはありませんでしたが、事故が注目されている中、遺族の現実を知らせることで、誰かが安全な運転を心がけてくれるのではと考えました」

松永さんは葬儀のあと、顔と実名を公表する形で会見に応じることを決めました。

会見で松永さんは2人の写真を前に「必死に生きていた若い女性と、たった3年しか生きられなかった命があったんだということを現実的に感じてもらいたい。運転に不安があることを自覚した上での運転や飲酒運転、あおり運転、運転中の携帯電話の使用など危険運転をしそうになったとき、亡くなった2人を思い出し、思いとどまってくれるかもしれない。そうすれば、亡くならなくていい人が亡くならずにすむかもしれない」と記者らに向かって語りました。

しかし記事で使われたのは加害者に相応の罪を償ってほしいという部分。「しょうがないこと」としながらも、やるせない気持ちだったといいます。

松永さんは現在、遺族の支援や交通事故撲滅への活動をする関東交通犯罪遺族の会・通称「あいの会」で副代表理事を務めています。

「あいの会」の小沢樹里代表から受け取った手紙の「ひとりで悩まないでください」ということばに救われたと言います。「妻と娘が亡くなったんだから、自分が全部背負わなければいけないし、自分1人で解決しなければいけない」すべてをひとりで抱えようとしていた松永さんに、ひとつの道を示しました。

「被害者ノート」も、このとき手に入れました。被害者ノートは「途切れない支援を被害者と考える会」が作成したもので、心や体のケアや弁護士の探し方や裁判などの手続き、被害者や遺族が直面するさまざまな問題の手引きとなります。

突然被害者や遺族になってしまった人が直ちに適切な行動をとることは難しく、松永さん自身がインターネットで調べても情報は見当たりませんでした。

松永さんは同じ立場の人の支援、そして被害者や遺族を生まないための活動にも役立ちたいと「あいの会」の活動に参加を決めました。ひとりひとりに訴えかける講演活動のほか、車の仕組みや道路や標識の改善について、法律の整備などを国へも働きかけています。

去年(2022年)1年間の交通事故の発生件数は30万1193件、交通事故の犠牲となったのは2610人でした。年間1万人以上が死亡した、昭和の“交通戦争”と呼ばれた時代より大きく減ってはいるものの、松永さんは「まだまだ多い」と考えています。数字ではなく、その人の人生があったからです。

松永さんは交通事故に限らず、犯罪被害者支援は社会全体の課題と話します。「犯罪被害者ってたぶん1%もいないと思うんですけれども、日本全体で言えば、誰もがなり得る。だからこそ被害者支援は必要」

事故後、松永さんは遺族として、思ってもいなかった困難に直面しました。