◆「このような医療ができれば…」大学の卒業旅行で中村哲氏と知り合う

中村さんの教え子のひとり、医師・小林晃さんです。現在は、鹿児島県の離島・徳之島で診療を続けています。
患者「家族ぐるみでつきあっています」「検査をいろいろしていますけど、ほとんど先生です」
病院の中にはペシャワール会の会報やカレンダーが置いてあります。
小林晃さん「先生が亡くなっても、我々みんな頑張っていますよと知っていただきたい。そういう所から、元ワーカーたちはそれぞれの所で小さいながらも頑張っていると思うんで」
大阪府出身の小林さん。中村さんとの出会いは、パキスタンのペシャワール、大学の卒業旅行でした。
小林晃さん「パキスタンの現地に溶け込んで医療活動を行っている中村先生すごいなと思って。将来このような医療活動できればいいなと漠然と考えていました」
現地に溶け込んで活動する中村さんの姿に憧れたという小林さん、その後、徳之島で医師として診療を始めますが、中村さんのもとで働こうと、改めてペシャワールに向かう決断をします。
◆共に歩んだ日「己の分限を知って、目の前の患者に一番良いことを」

当時、33歳。妻と幼い子供2人がいました。
小林晃さん「身内が、あんた何考えてんの。子供どないするんや。ペシャワールってどんなとこや。あんたあほちゃうか言うて」
家族を説得の末、ともにペシャワールに渡り、活動を始めます。しかし、約4年が過ぎた2001年、アメリカ・ニューヨーク「同時多発テロ」を機に、現地の治安が急激に悪化したため、志半ばでペシャワールを去ることになりました。
小林晃さん「小さな子供2人連れて、現地で働くことに対する大きなストレスがあって、そのストレスが限界に近い状況で、精神的に病んでいる部分もあって。それが同時多発テロで爆発してしまって」
もう一度、ペシャワールに行かなくては、帰国後も悩みもがく時期が続きました。それから20年あまり。中村さんと共に歩んだ日々を思い起こしながら、小林さんは、目の前の患者に向き合っています。

小林晃さん「先生がいつも言われている、好まれた言葉。照一隅。一隅を照らすという言葉。己の分限を知って、大きなことをやるんではなくて、目の前にいる患者にとって一番良いことは何なのかを、自分のためではなく患者さんにとって良いことは何なのかで最善を尽くす。一隅を照らしていったらいいんだというね。中村先生の心というか種がまかれて至る所でこういう風に咲いたら素晴らしいことだと思います」














