達子さんは、当時の4人の心理状態を振り返り「全員おかしかった」「正常な人間はいませんでした」と話しました。
警察、消防、葬儀社など、いろいろな人にお世話になったのに、お礼が言えないほど「パニック状態」だったと思い返すも、当時はパニック状態になっていることすらも分からなかったと言います。

勇さんは、美希子さんのことを「やさしい人間」だったと話します。

大阪から父と母のいる滋賀県にUターンした勇さんに美希子さんから「父も母も安心する。私は仕事ばかりでごめん」とメールが来たことがありました。そして、誕生日にはいつもプレゼントをくれ、両親にも兄妹でプレゼントを贈っていました。

勇さん
「人にも気づかいができるいい人間。彼女は何もしていないのにあんなことに巻き込まれるんだと改めて感じました」

■カウンセリングで救われた「拒まれても時間をおいて声かけを」

勇さんは事件後、体調を崩すも、カウンセリングを受けるのを拒んでいました。
家族を支えるため自分が倒れてはいけないと思い、病気だと認識したくなかったこと、そして、「当時はカウンセリングを受けることに偏見を持っていた」と言います。

その後、原因不明の発熱が治まらず、精神科を受診。自律神経が乱れると体温テーブルが上がると言われ、メンタル部分が体に出ることが分かりました。