◆誹謗中傷も冷笑も、書いている人の心が映っている


毎日新聞東京学芸部の吉井理記記者が11月15日に、こんなコラムを書いていました。(今日も惑いて日が暮れる「イヤなクールジャパン」)

冒頭で、日本ペンクラブ会長の作家、桐野夏生さんが「今の日本ではみんなで政治的な声明を出したり、まとまって運動したりすることを冷笑するというか、ダサいと思う風潮が強まっているように思えてなりません」と言っていた、と書いていました。

ロシアのウクライナ侵攻で日本ペンクラブもロシアを非難する声明を出していますが、疑問視する人は作家の中にもいるそうです。なかなかまとまるのは難しいのですが、それでも声を出さないよりは出した方がいい。こういう行動も、「心を寄せる」ということなのではないでしょうか。

例えば、街中でデモをしていたり、スタンディングして何かをアピールしていたりする。普通は通り過ぎてしまうのですが、時に僕の考えと似ている人がいるなと思った時「頑張ってくださいね」と一声かけたりするんですよね。「時間もあるし、ここで一緒にやることはできないな」と思いながらも、通り過ぎることがちょっと心苦しい時に、そんな一言をかける時があります。

誰もができるわけではないし、発言できるわけでもないけれど、でもそこでやっている人をあざ笑ったり、冷笑したりするのではなくて、「どうしてそうなのだろう?」とちょっと心を寄せてみる。そんなことが今の日本社会に必要だと考えます。

誹謗中傷も冷笑も、書いている人の心が映っているような気がします。「金がほしいだけだろ」。きつい言葉を使って人を批判するあなたの中に、「お金もうけのためなら何でもする」という気持ちがあるのでは、という気がいつもします。

発言する前に、「なぜそうなのだろう?」とちょっと心を寄せてみる。もしちょっとでも重なったところがあったら、「頑張ってね」という気持ちを持つ。これは、意味のないことではないと思います。