「編物のお蔭で生きてこられた」編物教室で指導を続けて70年

編物教室で指導を続けて70年。自分の手で仕立てることの価値を。編物の魅力を伝えてきました。

藤田芳子さん(99)
「編み物のお蔭で生きてこられた。大げさに言うと。編物がなかったら、ただのおばあちゃんでしょうね。それじゃあ、ちょっと残念」

藤田さんが編物を始めたのは戦後間もなくのこと。手に職をつけたほうがいいと嫁ぎ先で勧められたのがきっかけでした。当時は家族が暖かく冬を過ごせるように編物をする女性が多く、藤田さんが1953年に弘前市新鍛治町に藤田編物教室を開校すると賑わいを見せます。最盛期には花嫁修業の女性を中心に70人ほどが通い、日中と夜間の2部制で授業をしました。

「ザッザッ」と音を立てながら手慣れた手つきで編機を使う藤田さん。当時、主流だったのは手編みより格段に早く作業ができる機械編みで嫁入り道具として編機を購入する人も多かったといいます。

藤田芳子さん(99)
「生徒がたくさんいたときはザッザッという音がすごかった。必ず生徒が1台買うから30人いれば30台」