ハマスの台頭
イスラエルの占領に対するパレスチナ人の抵抗が続く中、1993年、この地に平和がもたらされる可能性が高まった瞬間がありました。
ノルウェーの仲介によって、イスラエルとパレスチナの「二国家共存」を目指すオスロ合意の成立。
イスラエルのラビン首相とパレスチナ側の指導者アラファト議長には、ノーベル平和賞も送られました。

このオスロ合意に基づきパレスチナの独立を目指す中、転機となったのが2006年、パレスチナの議会選挙です。
ここで過半数を制しパレスチナ自治政府の政権を取ったのが、対イスラエル強硬派のハマスなんです。

武装闘争も辞さないハマス政権をイスラエルは認めず、さまざまな工作をする中、パレスチナ側でも、ハマスと穏健派ファタハの間で対立が激化。
その結果…イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区にファタハ主導の自治政府が残り、ガザ地区をハマスが実効支配する形で分裂しました。

これを機にイスラエルは、ガザから占領軍を撤退させる一方、封鎖を開始。住民を閉じ込める壁を建てたのです。