新潟水俣病について、被害を訴えている人たちが国と原因企業を相手取り損害賠償などを求めている「新潟水俣病 第5次訴訟」が10月19日に事実上結審しました。判決は原告151人のうち審理が終わった47人分が来年4月18日に言い渡される予定です。
新潟水俣病は、新潟県阿賀町にあった昭和電工鹿瀬工場からメチル水銀が阿賀野川に流出し、汚染された魚を食べた人たちに感覚障害などの症状が出た公害病です。

10年前の2013年に提訴された「新潟水俣病 第5次訴訟」は、国の救済策から漏れた原告151人が国と原因企業の昭和電工を相手取り、1人あたり880万円の損害賠償や原告全員の救済を求めているものです。
国の救済策とは、政府が水俣病の全面解決を目指して2010年に施行した「特措法」です。特措法に基づく給付申請をした人たちには一時金210万円や治療費などが支払われ、県内では2108人が申請し、救済されました。ただ、この給付申請は2年ほどで打ち切られてしまい、申請に間に合わなかった人たちが新潟のほか、大阪、熊本、東京で裁判を起こしています。

提訴から10年。裁判は長期化し、原告151人のうち29人が判決を待たずに亡くなっています。
原告を引っ張り続け、最終弁論で「すべての水俣病被害者救済に繋がる歴史的な判決となることを願う」と訴えたた原告団長の皆川栄一さん(80)。皆川さんは「ずっと会っていない成人した孫の顔を妻と一緒に見て、『頑張ったよ』と言おうと思う」と心の底から願っています。
皆川さんが最終弁論で語った“自らの思い”を掲載します。