自閉症の嘉成さんを支え続けた母・有希子さんの死
「えーん」
そんな石村さんが「社会の中で生きていけるように」と支え続けたのが、母親の有希子さんでした。

(母・有希子さん)
「サルだよ。サルサル」
不妊治療の末授かった我が子でした。
(母・有希子さん)
「独り言を言う子は、学校に行かなくていいです」

小学校にも毎日付き添い、パニックは減っていったといいます。担任に送った手紙には「子育てへの決意」が綴られていました。

「何がなんでも私が立派に育てて見せる」
母との別れ 涙を流さなかった嘉成さん
母との別れは突然でした。石村さんが小学5年生の夏にガンを患い、40歳の若さでこの世を去ったのです。しかしこの時、石村さんが涙を流すことはなかったといいます。

(父・和徳さん)
「涙は見ていないですね、私は。最後の、棺に花を手向ける時も、息子はへらへら笑っていた。おかしくて笑っているんじゃないですよ。大きな認知の障害なんですよ」
「感覚はあるけど感情は得にくい。当時は、本当に一生懸命あれだけした母親の最後くらい、泣いて送ってあげてもいいのにと思いました」

母の遺志受け継ぎ 父・和徳さんが続けた「人との関わり」
母の願いは、石村さんが社会の中で生きていくこと。意思を継いだ父親の和徳さん、そして絵画との出会い。人との関わりが、石村さんを少しずつ変えていったといいます。

(石村嘉成さん)
「おはようございます。おはようございます。きょうはお願いします」
