2007年ごろ、事件が起きた第1スタジオが完成した。アニメの全工程をこなせる「旗艦」として位置づけられたスタジオだったという。孤独な作業が中心となるアニメーターたち。少しでも目に優しいようにと、床や壁には「木材」を用いたという。
また、第1スタジオは、「全て法令に準じて作った」とも説明し、弁護側が初公判で主張していた「多数の犠牲の背景には建物構造が影響した可能性がある」との指摘を切り捨てた。
「スタジオ前で遺体が運ばれる様子をただ見ているしかなかった」

「火事です」。スタジオから火が出ていることを知ったのは、関係者からの電話だったという。「ボヤかと思った」そうだが、駆けつけると、変わり果てたスタジオの姿が目に飛び込んできた。
検察官「スタジオには近づけましたか」
八田社長「もう、ほとんど無理でした。上を見れば延々と煙が。いつも通る側道があるんですが、そこの隅っこに社員が横たわっていたり、座っていたり。人によっては血を流している人もいました。『どうしたんだ』と声をかけました」。
検察官「返答はありましたか」
八田社長「なかったです」
検察官「その後は?」
八田社長「規制線の付近で、ずっと見ているしかなかったです」
検察官「その時は何を思っていましたか」
八田社長「『なんでみんな出て来ないんだ』と」