「被告の思い込みによって事件が起き、断腸の思いです」。社員36人の命を奪われた京都アニメーションの社長が、ふり絞るような声で、そう述べた。青葉被告は弁護側の席で、その様子を無表情に見つめていた。法廷ドキュメント第14弾。

団地の一室から始まった 京アニの創業秘話

京都アニメーション放火殺人事件の裁判は、10月2日に11回目を迎えた。この日は証人尋問で、京アニの八田英明社長が検察側の証人として出廷した。八田社長はまず、1981年に京アニを設立した経緯や背景を説明した。

京都アニメーション 八田英明社長

最初は、現在のような社屋があるわけではなく、八田社長が住んでいた宇治市内の団地の一室から始まったという。当時のアニメ業界は、アニメーションの知名度が世間に少しずつ上がってきて、「活気めいてきた時期」だった。当時のアニメ制作はやはり東京が主流だったが、「モノづくりの街」ということで京都を選んだという。

当初は「色付け」などの下請け業務が多かったものの、徐々に社員が増えていった。そして1991年ごろ、京アニにとって転機が訪れたという。