難病を抱えながらのリレー銀メダルと日本人選手初の9秒台
昨年9月に、約3カ月間の休養明けを自身のYouTubeチャンネルで宣言した。そのときに自身の競技生活を「楽しいことばかりじゃなかった」と明かした。大学2年時に指定難病の潰瘍性大腸炎と診断された。
「腸が炎症を起こし一生治らない。一生薬を飲み続けないといけない病気です」
原因はストレスだと言われたが、陸上競技生活を続ける限りストレスをなくすことは難しい。「俺の陸上人生終わりかな。ひどくなったら引退かな」とまで考えた。それ以降はリオ五輪なども、症状を抱えながら走り続けていた。
「お腹が痛くなるので、(精神面で)陸上にのめり込むのをやめました。このくらいの結果を出せばいいだろう、と。上に行く選手としてはダメだと思いながら、それが何年か続きました」
それでも、というべきか。その考え方ができたから、というべきか。桐生は大学4年時に日本人選手初の9秒台選手の称号を得た。自身2度目の9秒台はまだ出していないが、19年には自身最多の7レースで10秒10未満をマークし、いつ2回目が出てもおかしくなかった。
20年は新型コロナの感染拡大で、トラックシーズンが半分の3カ月しかなかった。そのシーズンも10秒0台4レースに加え、日本選手権も快勝した。予定通りに20年に東京五輪が行われていたら…という思いが、桐生本人にもあるかもしれない。
しかし、病気や故障を抱えながらも走り続けてきたことで、桐生は精神的に強くなってきた。学生時代は9秒台が出ずスタンドから失望のため息が聞こえたり、取材で9秒台を出せなかった理由を問われたりすると、イライラすることが多かった。だが今は違う。9月の取材中に「波瀾万丈の競技生活をどう受け止めいるか」と問われて、次のように答えている。
「見ている方からしたら面白いでしょう。自分でもそういうこと(波瀾万丈、ドラマチック)を思いながらやっています。どうしてもケガが付きまといますが、ケガをした過去をくよくよしても変わるものではありません。現在と未来が良ければ、過去の話って笑い話にできたりします」
現在は潰瘍性大腸炎の症状は比較的落ち着いているが、アキレス腱の痛みが出ることもある。
「どこで陸上人生が終わるかわかりませんが、“やりきった”と思えたらいいんじゃないですか。アキレス腱が痛すぎて走れなくなったけど、やれることはやったよな、という終わり方でも全然いいと思います」
この精神的な余裕は、以前の桐生にはなかった部分だ。それが③で紹介するトレーニングの幅の広さにもつながっている。成熟した桐生が再度9秒台を出し、なおかつ9秒台を安定して出す可能性も十分ある。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)