遺書には家族への深い愛が綴られる
(豊の国宇佐市塾・織田祐輔さん)「ここまで家族に対して書かれた遺書がきれいに残されているというのは珍しいし、家族のことをすごく思われているのがわかります」
遺書には、祖父と父母、それに弟や妹、1人1人に向けた言葉を残しています。
(弟へ)「千雪の平素の志大いによし。満身の努力を以ってぶちあたり後に悔いを残さず」
(父へ)「父上を信じ切って安心して征きます。美し故郷の香を今ここにしのびて父上に満腔の謝意を表してここに心を記し遺します」

出撃の直前、哲己さんは自身の最もよき理解者として慕っていた父親と熊本で会っています。その時も秘匿の命に殉ずることは明かしませんでした。
(弟の千雪さん)「久しぶりだと2人で風呂に入って親父にごちそうしてくれた。親父が朝起きて帰ろうと思ったらいない、もう出た後だった」
義烈空挺隊の12機は全滅 戦争を語るとは…
「義烈空挺隊」の12機は昭和20年5月24日夜に沖縄に向けて出撃。哲己さんが搭乗した6番機は撃墜され、全滅したとみられています。成績優秀で身体能力も高かった哲己さん。大分師範学校を卒業し、入隊前に教員をしていました。生きていれば教育者として活躍していたに違いありません。
(豊の国宇佐市塾・平田崇英塾頭)「国のために犠牲になった人はいっぱいいるのでその人たちの分も残った人が責任を持たないといけない。こういうのを残すことが戦争を語ることになる。大事にしてほしい、よく言い伝えてもらいたい」
哲己さんは梶原家の墓地に家族とともに眠っています。使命と責任を背負い戦争の時代を駆け抜けた哲己さん。残された遺書は私たちに改めて平和の尊さを語りかけています。














