「丸呑みして、骨組みだけは確保しよう」

85歳になる細川護熙元総理は政界引退後、絵画、陶芸などの創作活動に取り組んでいる。都内にあるアトリエでインタビューに応じてくれた。

30年前、非自民・非共産の8つの党派が共闘し「55年体制」を壊し、誕生したのが細川連立政権だった。歴代総理として初めて先の戦争を「侵略戦争だった」と明言し、米の一部自由化に踏み切るなど自民党時代には成し得なかった課題に取り組んだが、最優先としたのが政治改革だった。

リクルート事件、金丸問題など“政治と金”が大テーマになっていた時代。当時の中選挙区制は金権政治の温床と言われていた。

細川護熙 元内閣総理大臣:
「私が初めて選挙に出たころ(中選挙区制で)酷いものでしたね、本当…。お金も暴力沙汰も…。お金の飛ぶ規模も今と全然違う状況でした。」

細川氏は小選挙区と比例代表250議席ずつという選挙制度改革案を国会に提出。しかし、細川氏が目指したのは巷間伝えられていた“政権交代可能な2大政党制のための小選挙区制”ではなかった。

細川護熙 元内閣総理大臣:
「私は初めから一貫して“穏健な多党制”を考えていた。小沢(一郎)さんは2大政党制を思考してたんだと思う…。穏健な多党制(で連立を組めば政権交代は可能)でヨーロッパでは時々ある話…。今日本にも10人以上の政党が6つある。穏健な多党制の方が民意を吸い上げやすいんじゃないかと…」。

だが細川氏の政治改革法案は250議席ずつという数があだとなった。当時自民党に280人の衆院議員がいて、選挙区が250では足りないという理屈が自民党を頑なにした。だが、細川氏は改革を実現するため総理の職を賭して河野総裁にトップ会談を申し入れた。

細川護熙 元内閣総理大臣:
「とにかく荒っぽいけど自民党案を丸呑みして、(小選挙区制という)骨組みだけは確保しようと…。あとでそれを修正して直してもらうということでやるしかないと思った。(河野さんも)ビックリされたと思いますね。」

結局小選挙区300、比例200という自民党案で合意に至った。細川氏はメモにこう書き残している。

「仮にこの土壇場で政治改革法案が葬られることにならば国民の政治不信、日本に対する国際信用の低下は極限に達すること疑いを入れず、党利党略を離れまさに救国のため大局的な知見からお互いに判断すべし。河野氏も同感の意を示す」

細川氏のインタビューを見て河野氏も当時を振り返った。

河野洋平 元自民党総裁・元衆院議長:
「トップ会談を2回やった。1回目の時には細川さんは殆ど譲歩せず。僕がなんて言っても『政府案は変えられない』って…。で2回目の時には全部自民党案(を飲む)、何を言っても『はい、結構です』って…。

どうしてこんなに違っちゃったんだろうっていうくらい『結構です』…。とにかく細川さんが自民党案を飲む飲むっていうから…もう驚きました。でも飲まれちゃったら引き下がれませんから。それで行きましょうという以外ない…」。

こうして合意に至った政治改革から30年。この時から始まった選挙制度は機能しているのだろうか…。