『わしも死んで妻も殺してしまおうと…』介護疲れの末の「危険な思い込み」
「中北の家」に救われたと話す男性はほかにもいます。滋賀県大津市内に住む梅本高男さん(81)。
(梅本高男さん)「これは鳥取の砂丘で撮った写真ですね。(Q退職後の2人の思い出旅行?)そうそう。それまでは家内と旅行したことはなかったんとちゃうかな。四国に行った時に行方不明になって、次の年に認知症と診断されたんです」
会社員時代、家のことは任せっきりだったという負い目から、妻・安子さんの面倒は「死ぬまで自分がみる」と決意して介護生活が始まりました。しかし、苦労の連続だったといいます。
(梅本高男さん)「(Q男性故に大変だったことは?)食事をつくること。つくったことがなかった。飯、お茶、新聞~という感じだったからね」
日常作業に加えて、安子さんの徘徊や失禁の世話で毎晩寝不足状態に。それでも、介護がどんなに辛くても周りには頼れませんでした。
(梅本高男さん)「最初は隠しに隠しましたもん、うちの家内がこんなことになったというのは。(Qなぜ隠す?)プライドかな。病気を他人に言えるかって」
介護生活が5年目になろうとした時、精神的にも肉体的にも限界に。そんなある日…
(梅本高男さん)「『あんた誰や、なんでここにいてるんや、ここは私の家や、すぐ出ていけ!』と言われたんです。そのとき、僕は介護疲れで頭がはじけそうに爆発しそうになっていましたからね、『なに言ってるんや!この家はわしが汗水たらして働いた金で建てた家や』と。このやり取りが2日くらい続いたかな。その時に、こんなしんどい思いをするんだったらわしも死んで妻を殺してしまおうと思ったんや、一瞬ね。そうした時に気が付いてよかったんよ」
ようやく、外に助けを求めた梅本さん。ケアマネジャーの紹介で男性介護者の集いの存在を知りました。
(梅本高男さん)「行ってよかったなあと思ってね。そこで助かりましたね。話を聞いてもらうだけでもずいぶん違う」
その後、介護を1人で抱え込むのではなく安子さんを施設に預ける決断をしました。今は面会に行きながら日々を過ごしています。